声優養成所のワークショップに参加し、そこで大手声優事務所のマネージャーの目に留まり、そこから預かりになったのであれば一般的にはかなり順調な新人かもしれない。

しかし滑り出しがよければ活躍できる声優になれるというものでもなく、遅いデビューで大成する人もいる。第一線の声優への道は、遠く不透明だともいわれているが、その一端がデビューまでの難しさにもある。

悠子は、声優になることを両親にいつ話すか迷っていた。もし売れたら話そう、仕事が決まって世の中に名前が出たら話そう、そう思っていたが、同時に「本当にやっていけるのだろうか……」という不安が常に頭から離れなかった。

赤坂事務所の預かり生は、春から約一年間レッスンを受ける。冬の査定で所属でもやっていけると判断されれば、次の春から晴れて所属の声優となる。預かり生は、その査定を人生のターニングポイントだと考える。

実際は就職試験や受験などと違い、一つの通過点に過ぎないのだが、当の本人達はそう考えない。事務所の査定こそ、一世一代の勝負の瞬間としている。清水悠子も例外ではなかった。

預かり生として秋を迎えた悠子は、意を決して事務所を訪ね、神野マネージャーに話を聞くことにした。

 

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