女性恐怖―至高の情熱(passion(パッション))、肉体嫌悪―果てしないエロス、対立する両面を持つ彼の恋の世界は、それ故に現実よりも想像の世界にふさわしいものである。娼婦、姦通=人妻というモラル的には問題のある関係に恋を謳歌し、結婚という法的制度関係にはいかなる恋情も喚起されなかったのも一つにはこの為であろう。

初期作品時代から彼は男と女の幸せな結婚というものを想定出来なかった。実生活でも兄、友人達の結婚に失望・軽蔑を隠せず、恋人ルイズ・コレに結婚を迫られ子供が出来たかもしれないと言われて狽狼(ろうばい)する。

この問題は二人が交際しはじめた頃から起こり何度か繰り返されている。その経緯は多くの書簡からうかがえる。『狂人の手記』でマリアへの崇高な恋を語った後に、こうした恋は現実においては幻想と否定、男女の愛をイロニックに見つめる。

「二つの存在がふと偶然に地上で出会い、一方が女で他方が男である為に愛し合う! ……二つの魂は各々激しく熱せられた器官を持っているのでやがてグロテスクに絡(から)み合い、唸ったり溜息をついたりして、共に闘うのは地上に馬鹿者をもう一人、二人によく似るであろう不幸な者を生み出そうというのだ! 彼らを見てみよ。その瞬間には犬や蠅よりも下らない。」

『11月』ではこの男女の性(セックス)→子供の誕生は〈人を殺す事は子供を作る事程悪い事ではない〉ともっとシニックになる。

娼婦マリーとの二度目の交情で「二人の筋肉は捩(よじ)れて一つに絡み合い締め付け合い、互いに食い込んでいた。享楽は錯乱に、快感は苦痛に変わりつつあった。」と肉体的快楽が苦痛に変わってしまう事を語り、女が「もし子供が出来たら!」と脅えて言うと、急いで身を引き離し逃げ出してしまう。

この娼婦との恋は互いに永遠の女性・男性を求める愛の絶対的渇望として、観念のレベルでは一致するが〈妊娠〉という現実レベルの要素が介入するや消失してしまうのである。


(1)  J. P. Richard, Littérature et Sensation “La création de la forme chez Flaubert”, Seuil, 1954.

 

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