【前回の記事を読む】仙台藩は天明の飢饉をはじめ、様々な災害によって引き起こされた凶作に幕末まで苦しめられていた
第一章 仙台藩の内情
一 飢饉
仙台藩の禄高五十石、大番士の別所万右衛門が「天明癸卯年凶作留」、「天保凶歳日記」を残している。日記は、下級武士の生活と社会状況、災害、米や穀類そして野菜の値についても記録している。この日記の一部を引用する。なお原文中の( )は虫食いなどによる欠け字である。
たとえば天保四年九月のうち、
九月廿( )曇り、袷着 米引揚申候
一、市中米 一切付二斗
一、同白米一升 百四文( )
一、小豆壱升 百二十文又は百文位( )
一、大豆壱升
一、小麦壱升六十弐( )売人不足
一、大麦壱升八拾壱( )不足
一、くだけ米壱升 七拾五( )
一、一貫六百文 一切ニ付( )
一、門( ) 茶や豆腐無之、こんにゃくを如( )腐切咄てん( )一切致
一、郷六千壱升 弐拾文
一、河原町売り 洗( )壱升二付九文( )より百文迄
一、かほぢや者( )十四文( )
( )
( )
此節貸人不足( )
値段 猶事( )食物( )
凡而高直也
一、侍屋敷 宿守妻并子供等、米売之無心日々有
一、下( )下女給金なし、喰事ニ而奉公致度願所也( )
一、世上大所へ入小盗大流行( )番人( )様、右ニ付盗人在之、及沙汰( )相聞得申候
一、評定所御吟味ニ可被相懸、喰物盗人ハ、下役共詮議見詰ニ而、直々迫払候由、相聞申候
一、田作少しも宜敷所ハ、番人揃置由、番人付置不申侯へハ、夜ニ入稲穂を被盗候由
一、玉造郡山根辺ハ、比節蕨( )等穿敷( )松木の合皮を取、餅ニ搗食候由、是ハ( )と申咄御座候
一、御奉行衆 月十三日より徒ニ而歩行 御一門衆 月廿日過より徒ニ而歩行 詰所巳上槍なし 上下三人也