【前回の記事を読む】天保の大飢饉で十五万人が餓死——天保七〜八年の飢饉と斉邦の死がもたらした藩政の停滞普通拝領形態における給人の支配権は、殆どが年貢徴収権であり、徴収方法はその土地の肝煎に委ねられ、給人の多くは仙台屋敷に居住していたので領民との結び付きは強固なものではなかった。伊達慶邦は、義兄斉邦の死去に伴い天保一二年(一八四一)九月七日、十三代藩主を襲封した。斉邦は、登米伊達村良の四男で五代吉…
戊辰戦争の記事一覧
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評論『戊辰戦争』【第5回】吉野 敏
凶作と飢饉で苦しむ仙台藩に黒船来航――軍制改革と財政政策はどう進められたのか
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評論『戊辰戦争』【第4回】吉野 敏
天保の大飢饉で十五万人が餓死——天保七〜八年の飢饉と斉邦の死がもたらした藩政の停滞
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評論『戊辰戦争』【第3回】吉野 敏
天保7年7月10日、石巻で貧民が富豪を襲い打ち壊す騒動が勃発。これに伴い餓死者が相次ぎ死体が路傍に放棄され…
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評論『戊辰戦争』【第2回】吉野 敏
飢饉により備蓄米すらもなくなった領民は春、夏は野菜、山菜そして草の根まで食い尽くした。秋になると更に悲惨になり――
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評論『戊辰戦争』【新連載】吉野 敏
仙台藩は天明の飢饉をはじめ、様々な災害によって引き起こされた凶作に幕末まで苦しめられていた