【前回の記事を読む】凶作と飢饉で苦しむ仙台藩に黒船来航――軍制改革と財政政策はどう進められたのかこの政策は、洋式兵備の促進を望む藩主や一部の藩士に歓迎されたものの、財政の原則である「出を制し入りを計る」を無視するものであり、放漫経済に陥った。藩主慶邦は、芝多の軍備の促進に功労を賞し、「三十貫」を加増した。一方では、領民の生活難が激化した。しかし、芝多は、自宅に数寄をこらした茶室を新築する、或いは…
[連載]戊辰戦争
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評論『戊辰戦争』【第6回】吉野 敏
江戸時代に行われたインフレ政策…落ち込んでいる景気を刺激し好景気を図ったが、財政の原則を無視するもので…
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評論『戊辰戦争』【第5回】吉野 敏
凶作と飢饉で苦しむ仙台藩に黒船来航――軍制改革と財政政策はどう進められたのか
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評論『戊辰戦争』【第4回】吉野 敏
天保の大飢饉で十五万人が餓死——天保七〜八年の飢饉と斉邦の死がもたらした藩政の停滞
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評論『戊辰戦争』【第3回】吉野 敏
天保7年7月10日、石巻で貧民が富豪を襲い打ち壊す騒動が勃発。これに伴い餓死者が相次ぎ死体が路傍に放棄され…
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評論『戊辰戦争』【第2回】吉野 敏
飢饉により備蓄米すらもなくなった領民は春、夏は野菜、山菜そして草の根まで食い尽くした。秋になると更に悲惨になり――
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評論『戊辰戦争』【新連載】吉野 敏
仙台藩は天明の飢饉をはじめ、様々な災害によって引き起こされた凶作に幕末まで苦しめられていた