小作農家から自作農家へ ─ 母ちゃんの夢かなう ─
幸いにして、大沢家の本家はそうした意地悪な妨害はしなかった。確かに本家の父ちゃんは、囲炉裏端に座って何か諦めと悔しさのこもった苦渋をぶつぶつと口にしていたがそこまでだった。
昭和23年頃だろうか。これまで耕してきた田畑が天下晴れて大沢家の所有となった。俗にいう「三反百姓」である。
土地が自分のものになった。独立して生きていける! 狭い面積ではあったが、その喜びは経験した人でなければわからない。まさに別天地の喜びであり、弾けるような嬉しさであった。
こうして大沢家は小作から解放され、自作農家として新しい道を歩くこととなった。といっても、全ては母ちゃんの働きにかかっていた。
朝早くから星が出るまで母ちゃんは田圃に浸かっていた。田のそばの用水に落ちた大きな石を一つ一つ「もっこ」に担いでは、外に這い上がって除地(よけち)に捨てている姿が今もケンの目蓋(まぶた)に焼き付いている。
鼻マッカーサー
冬の寒さで鼻が赤くなると、「鼻マッカーサー」や「鼻マッカーサー元帥」などと子供たちは口々に囃したてて歩いた。
とにかくマッカーサー元帥(ダグラス・マッカーサー 1880 ~1964 )は「日本で一番偉い人だ」と子供達は教えられていた。
小作人はきっと自作農家となった恩恵を子供達に教え、また子供達もその恩恵を肌で感じていたからであろう。
当時ケンの地域では豪農の旦那様や地域で一番幅をきかせている人を「天皇さま」と言っていた、とすれば母ちゃんは天皇さま、いや皇后さまである。
その母ちゃんの夢をかなえてくれた連合国軍総司令長官のマッカーサー元帥は大沢家では世界で一番偉い救世主であった。そして守護神であり、「世直し大明神」であった。
実はケンには、ずーっと頭の片隅にこびりついていることがある。
それは小作人から自作農家にしてくれ、しかも自由にものが言える素晴らしい国にし、しかもこんなに裕福な暮らしを実現してくれたマッカーサー元帥という大恩人に一言でもいい、感謝の言葉を言わなければならないのではないか。
それなのに大人達はなぜこの大恩人に感謝しようとしないのだろうか?ということである。