「おい! 颯斗! 待てってば!」
いつの間にか、家の近くまで来ていた。息遣いを荒くした和也が、勢いよく走ってくる。
「どうしたんだよ和也、そんなに息切らして」
「お前……。今日の帰り、あの花屋に一緒に行こうって約束したじゃんか!」
しまった。すっかり忘れていた。どんなごまかしをしても事実は変わらないので、僕は正直に話した。
「ああ、そうだった。悪い。忘れてた」
「勘弁しろよな……。教室戻ったら颯斗は帰ったって聞いて、慌てて走ってきたんだぞ」
「まじでごめん……。悪かったって」
「あれ? てか、颯斗目赤くない?」
「え、そうかな?」
「……。いやなんでもない! うし! そんじゃ行くか!」
踵を返して、二人で駅に向かった。少し、視界が明るくなった。
僕と和也が利用する最寄駅、煉瓦町駅に着くと、まだ僅かな冷気の漂う三月の澄み渡る空気が、頬を優しく撫でてくれた。煉瓦町駅の改札を出て右に曲がると、昔は流行の最先端を走っていたショッピングストリートがある。白銀色の舗道は太陽に照らされ、アコヤ真珠が敷き詰められているかのように煌めいている。
隣の駅の再開発が進み、今の流行を存分に取り入れた商業施設が多く建設されたことで、ここのショッピングストリートから賑わいは一時期遠のいた。時代の攻撃だ。
しかしこの舗道の煌めきと、軒を連ねる西洋風の店が醸し出すレトロな風合いは、文明開化の名残を覚えることから、SNS映えすると若者の間で好印象が伝播され、今では活気が戻り始めている。
心地のよい喧騒に耳を傾けながら進むと、右手に二階建ての小洒落た文具店が顔を出す。東京、銀座に本店を構える店の支店であり、左団扇で暮らしていそうな貴族風の身なりのマダムが、多く出入りしている。
文具店手前を右に曲がると、飲食店が数店並ぶ裏路地に出る。そこから道なりに進み、姉妹が切り盛りするパン屋をさらに右に曲がると、哀愁を帯びた風の流れる外国人墓地が現れ、側に豪邸の並び立つ厳かな白い階段が待ち受けている。
階段を上り切ると閑静な住宅街が眼前に広がり、その一隅に大きな庭を控える西洋風の住宅兼花屋がある。柏木敏成さんは、妻に先立たれてからこの花屋を継ぎ、一人で切り盛りしていた。
「颯斗、ここに来るのもかなり久しぶりだけど、変わんないな」
「確かに。なんでこんなに落ち着くんだろうな、ここは」
店名の"なでこ"と、"柏木"という文字の書かれた大小二つの丸みを帯びた表札が、強い存在感を放ちながら外壁に打ち付けられている。
次回更新は7月21日(月)、21時の予定です。