【前回の記事を読む】「病床の母が喜ぶから」ただそのために、描いていただけ。かつて天才と言われた中学生男子の現在。

シラー

登校中、友達にひっきりなしに話しかけられた。いじめを受けているわけでもないし、学校に馴染めていないことも全くない。むしろ、友達と毎日笑って話して過ごす日々は、誰が見ても恵まれている。でも感情だけが、母が亡くなった日から、絵を描かなくなった日から、ずっと停滞している。

校門前には、学校名と卒業式の文字が仰々しく書かれた立て看板がある。その前には、家族と一緒に写真を撮る人の群れ。多幸感で満たされていますと言わんばかりに口角を上げる同級生を左目の端で捉えながら、僕は足早に下駄箱まで向かった。なんとなく、混ざる気分になれない。

校門前で群れる同級生が大半であったためか、これから華々しい卒業式が執り行われる学校とは思えないほど、昇降口は不気味に静まり返っていた。纏わりつく澱んだ空気を振り払うように、左手にある階段を駆け上がる。

教室には既に数人同級生がいて、黒板には担任の松本先生が書いた、〝みんな! 卒業おめでとう!〟という文字と、花や星の絵が描かれている。いい絵だ。黒板の前で腕を組みながら、満足気に鼻孔を膨らます松本先生を見るに、力作なんだと思う。

いつにも増して、彼のパンチパーマが陽気に踊り狂っている気がする。昇降口の澱んだ空気に若干の不安を覚えていた矢先だったからか、その先生の姿に安息を感じながら、僕は席についた。卒業式の大まかな説明を松本先生から受けると、式開始の二十分前までは自由時間になった。

「よっ颯斗!」

話しかけてきたのは、幼馴染で親友の皆木和也だ。スポーツ万能で学業の成績もトップクラス。バスケ部の主将で、先生や同級生からの人気も高い。家が近く幼稚園も一緒だった。腐れ縁というやつだ。

「何だよ和也。学級委員なんだから、式の段取りとか忙しいんじゃないの?」

「いやいや、卒業式は俺たちが主役なんだから、そんなのないよ。先生から体育館までの誘導はお願いされたけど、それだけ。それよりさ、お前高校では何か部活に入んの? そろそろさ、また絵描いたらどうよ?」

僕は帰宅部だ。美術部から再三勧誘を受けたけれど、その度に断った。

「和也……。もう俺は描かないって。お前が一番よくわかってるだろ?」

今朝の会話の再生に若干呆れながら、不快感の伝わるような態度で気乗り薄に答えた。和也は目の前の席の椅子を引くと、嫌味を持たない短い溜息を漏らして、笠木に顎を乗せ、正対して僕を見つめた。黒縁メガネのフレームの中で、昔から変わらない清らかな瞳が動かず鎮座している。

「わかってるけど、高校までずっと何もしないわけにはいかないだろ?」

「みんな和也みたいに、夢中になれるものがあるわけじゃないよ。何もしないことに幸せを感じる人だっている。経営者みたいに仕事に心血を注ぐ人もいれば、趣味に夢中になって幸せを見つける人もいる。人それぞれ」

屁理屈を並べて机上に広げている自覚はあるけれど、本音ではある。

「颯斗。皆木和也は、お前が夢中になっているものを知ってるよ」

フルネームを会話の中に入れると、なぜこうもその人の存在感の割合が頭の中で跳ね上がるのだろう。和也はよくこの手法を使うけれど、毎回返答に困る自分の力量の低さを許せない。会話の接ぎ穂をいじり、無理矢理方向を変えることしかできない。