この難題に尽力したのは漢籍、仏法に秀でた官僚群であり、彼等の幾人かは百済滅亡後に日本に来た渡来系の人々であった。勿論、最大の支援者は不比等を寵遇、信任した持統天皇だったに違いない。
不比等は国家像を想定するにあたり、千年先まで継承される天皇家の永続的地位の安泰及び共存して藤原一族の吉祥、繁栄を前提とする仮説を立てる。その実現のために、天皇権威の強化と法による支配の確立が必須条件と判断する。
唯一無二の支配者として天皇の正統性を唱えた。ここで重要な点は偉大な神から継いだ権威である。側近の貴族は無双の権威の確立に腐心する。権威とは神聖たる天皇個人と付随する全ての有形及び無形の力を指す。
この時代、国史に反映して公知化を図ることが最優先された。その他天皇を権威化する仕掛けは多々あり、天体観測、暦法、占術等、庶民が無識の世界を統括し、日常生活に役立てた。
法典は律令制度として発令することとなる。この構想の先に記紀、大宝令(701)が完成される。古今、どこの国の支配者も、権力簒奪後は英知の限りを尽くして、永続を担保する体制構築を図る。
その多くは新権力者の正統性を主眼に、都合の良い歴史捏造と法令発出である。これは社会悪ではなく、社会性を嗜好する人間の特性であり、社会の混沌を安定へと改善する処方箋でもあった。
世界史を総覧しても実際、千年続いた継承王権は日本の皇室以外見当たらない。それほど、専権の中央に居座ることは難しい。この千年未来を透徹し、現実化させる意思を込めて、恰も予言者の託宣の如く、天皇の権威を極大化するべく記紀は書かれている。
皇室が奇跡に近いほど永く続いている理由の主因は、先述の神聖化による天皇の権威にあったと推断する。別角度から分析してみると、巧妙な智恵が浮かび上がる。権威を大別すると、神聖と武威で構成される。
天皇は他家を侵害する武力を放棄する代わり、神聖不可侵の立場を強調し始めている。このお膳立てをしたのは後述の藤原氏である。神の子孫として、神聖視される王権へと構造変換を図り、天皇の権威の最大化を企図したのだ。
帝紀に窺える事例を参考にして、血生臭い所業から懸絶するために武力を第三者に付託する選択をしたのだ。統治体制を別にしても、武力を保有しない最高実力者の出現は異例である。
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