【前回の記事を読む】「犬殺し」に持っていかれたんだろう…当時、保健所の依頼で野犬狩りを職業とする人間を「犬殺し」と呼んでいた。
一、
村八分の時も「お前んとこのバカ犬がうちの畑を荒らした」と、村人が怒鳴り込んできた。道端で違う村人に会うと「今度そのバカ犬をうちの畑で見たらぶち殺す」と言った。
私達に食うものがないときは、クロにもない。クロは村のあちこちで自分の食べる物を漁っていたのである。少しでも食い物があればクロと分け合っていた。
村人にクロはよく吠えていた。村人がクロを棒でぶとうとしてもクロはすばしこかった。石を投げられても簡単には当たらない。彼らにとってはクロもよそ者の憎たらしい犬であった。寒い冬はぼろぼろの布団でクロと一緒に寝た。私とクロとは肉親以上の絆があった。
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私が学校から帰るとクロの姿はなく、すでに父がクロをもらってくれる家に連れていっていた。家の前には小さなトラックがあり、引っ越しの荷物が積まれていた。荷物といってもたいした量ではない。私は自分の生まれ育った村に何の未練もなかったが、父は複雑な眼差しで流れ去る村の光景を見つめていた。
私達兄弟を預かってくれる家は、住んでいた家から五キロメートルくらい離れた大きな農家であった。父が一緒に仕事をしている人の親戚で、その家族も時期が来るまで預けられていた。父は何度も頭を下げてよろしくお願いしますと言っていた。「皆、仲良くして、ちゃんとしていろよ」と言って、その夜に東京へ行った。
Kという名前の家族には子供が三人いた。長女が私より一歳下で長男が弟と同い年、三人目はまだ六歳であった。預かってくれる家の人は皆親切であった。これで飢えることはなくなった。そこから今までの小学校に通うことになった。歩いて二時間近くかかる。前の家からも五十分はかかった。