試行錯誤の末、国家の中心軸を定めることが重要と気付くが、それは中国も半島の国も行っている。要するに、中心となるべき天皇のあり方が問題と思い立つ。では、どのような天皇が相応しいのだろうか。人は自分の経験から出発する。

彼が出会った天皇は全部で五人――舒明、皇極、孝徳、斉明、天智。皇極と斉明は同一人物なので、正確には四人。孝徳は叔父、それ以外は、父、母、兄であり、全部「身内」である。どういう考えで天皇の職務を考えていたのか、彼には分かっていたはずである。

権力者として君臨したかどうかという指標で見ると、自分の考えを前面に打ち出す天皇は天智くらいであろう。兄は有能な天皇であったと思う。聖徳太子の施策を学びつつ、望ましい社会のあり方を見据え、時には中国にならって改革を進めた。ただ、少し強引なところがあり、そのため敵も多かった。

女帝であった母は、繋ぎという意識があったと思われる。権力者ではなかった。

どちらの天皇が、あるべき姿であろうか。多分、彼は悩んだであろう。どちらも一長一短があるからだ。

権力者としての天皇であれば、考えたことが、そのまま実行できるという長所がある。しかし、常に身の安全を考えなければいけない。中国のそれまでの記録や自分自身が見聞きしてきた事案を振り返ると、権力者とその家族は常に生命と財産が狙われていた。

中大兄の時代にも、蘇我石川麻呂の反乱計画や有間皇子の変があった。たまたま防ぐことができたが、常に防げる保証はない。それでは困るのである。国の中心的地位にいる人物が偶然によって守られるというのでは駄目である。何があっても、その中心軸が守られなければ国は滅びてしまう。

権力者だから狙われるのであって、権力を手放してしまえば誰も狙わないのではないか。ふと、そんな考えが頭をよぎる。ただ、そうすると先の五つのことが守られなくなってしまうのではないか。天武の自問自答は続くことになる。