山手線が新橋駅を出発したと同時に、イヤフォンからは名曲『ナイトクルージング』が流れ始めた。
目の前には眠りこけている女性、そしてその後ろには爽やかにライトアップされている東京タワーが映り込む。流れている曲と目の前の光景がマッチして鳥肌が立った。
眼を瞑り曲のメロディーを全身に染み込ませる。曲が終わると同時に田町駅に到着した。
私は眼を開け女性に目を向けるが姿がない。真横の視界に人影が降りた。女性が座っていた目の前には、携帯電話が転がっている。私はハッと我に返って立ち上がり、携帯電話を拾い降りた女性を追う。同じ駅だったから良かったが姿が見当たらない。素早く走れない私は、懸命に改札口へと向かうが女性の姿はなかった。
左手で携帯電話を握りしめたまま、私は途方に暮れていた。駅員に渡すのがセオリーなんだろうが、私は女性のフラフラな状況から、遠くには移動できてないと察し、改札口を出てエスカレーターを降りた。タクシー乗り場には数台のタクシーと数名の男性と、カバンの中を血眼になって探っている女性が視界に入っている。女性は先ほどとは打って変わって機敏な動きだ。
私は一言声を掛けた。
「携帯電話落としましたよ」
返事はない。一心不乱とはこのことを指すのか。
「すみません、席の目の前に携帯電話落ちてましたよ」
2度目か3度目の声掛けにようやく顔を上げた女性。私の顔と左手を同時に見て、その場で「へたーっ」と座り込む。ホント漫画の一コマに出てくるような感じで「へたーっ」と座り込んだ。
女性は安堵したのか泣き出しそうな顔で、こちらに頭を下げて「御礼させてください」と言い寄ってきたので、私は思わず、ヒデジの店でビール奢れと言い掛けたが、鬼だなと思い、遠慮して断った。
しかし、女性は何かしないと気が済まないと言う。押し問答の格好になってしまったので、私は折れた。
「じゃ今日は遅いし酔っ払ってるからさ、携帯番号教えるから落ち着いたら電話してよ、ケンイチで。オレも田町駅周辺に住んでるからさ、遠慮なく誘って」
私はそう言って、その場を離れヒデジの店へ向かった。
この女性との出逢いが今後の私の人生を変えるとは、お互いまだ知るよしもない。
次回更新は7月21日(月)、20時の予定です。