【前回記事を読む】「気の持ちよう」「異常なし」――筋肉が減り、右脚を引きずる私を診て医者はそう言った。自分で調べたらどう見てもALSだが…

1 始動

芝 2011年

私は仕事場に頭を下げて、1週間後の検査入院にシフトを合わせ、担当医に半ば強制的に入院させられることとなる。

入院準備の傍、私はPENPALSのサイトを眺めていた、入院期間中に大阪でフェスに出演することを再確認していた。

働き始めてから約10年、まとまった休みは年に三連休が1回ほど、後は週休2日。それも連休は取れず、どこかに泊まりで出掛けることさえままならない日々を過ごしてきた。

学生時代も、土日は部活の練習や試合で休みはなく、気が付けば15年以上も動き続けていた私にとって、入院は束の間の休暇みたいなものだった。

私のこの入院での計画はこうだ。

月曜から木曜までは、大人しく検査を受け、金曜に一時退院させてもらい、土日で大阪へ。
月曜に大人しく戻り、水曜に退院する。

既に大阪への新幹線も、フェスのチケットも、取ってあった。解散ライブ以来、約6年ぶりにライブをするPENPALSのための計画的入院とでも言おうか。

確実にPENPALSを観れる準備が整ったことで、私は検査入院によるドキドキよりも、復活ライブを観れるワクワクの方で、高揚感を感じていた。

いざ入院生活が始まったものの、やることがない。

2日で携帯ゲーム機の野球チームを作るソフトをクリアしていた。たまに医大生であろうグループが病室を訪れ、身体をあちこち触ってきては、数字で伝え合う。