当時、素人番組が人気絶頂期で、駆け出しの放送作家やテレビ局関係者の方達が街で、テレビで使えそうな素人を探していた時代だった。毎度、渋谷センター街付近をたむろしていた私も、その素人同様に声を掛けられることが増え、お笑いコンビをしていると伝えると、面白がって話を聞きにくる関係者と仲良くなっていった。
素人番組に出るのにも、オーディションがもちろんあって、オーディションに苦手意識がある私は、テレビ局にネタ見せをしにいけば、ネタを飛ばすわ噛み倒すわで、挙句の果てはディレクター陣に、立ち位置が悪いなどとダメ出しされることも日常茶飯事だったが、そこでオヤマさんという放送作家に出会うことになる。
オヤマさんは当時20代後半。大阪で芸人をしていたがコンビを解散し、東京に出てきたばかりだった。一回り近く離れた私を、弟のように可愛がってくれた。
ネタの作り方やお笑いの話、大阪の話や女性の話、酒の飲み方やシケモクの吸い方など、時にはオヤマさんが担当する、女性お笑いコンビを紹介され「どっちと付き合いたい? お互い彼氏いないから紹介しよかー? あ、まだ高校生だから大人の女性はダメやな。犯罪かー!」などと、当時の私には刺激的な話ばかりで、ほぼ毎日渋谷に顔を出しては、お笑い談義に花を咲かせていたものだ。
そんなオヤマさんから「事務所を紹介するから本気で芸人に、ならないか」と話を頂き、相方、ユウジに話したところ「服飾系の専門学校に行きたい」という話になり、私も芸人になることより、先ずは就職して親を安心させたいという気持ちが強く、ここでコンビを解消することになる。
この時、芸人の道を選んでいたら、今の人生とは別の道があったんだなと、改めて分岐路だったんだなとしみじみ思う。
次回更新は7月11日(金)、20時の予定です。
【イチオシ記事】「浮気とかしないの?」「試してみますか?」冗談で言ったつもりだったがその後オトコとオンナになった
【注目記事】そっと乱れた毛布を直し、「午後4時38分に亡くなられました」と家族に低い声で告げ、一歩下がって手を合わせ頭を垂たれた