「バルドーだ!」
小さく叫ぶと、青年医師はいきなり立ち上がりました。彼は素早くカバンからサイン帳らしきものを取り出すと、脱兎のごとくバルドーを追いかけていきました。
「まあっ……」姉はあきれたように小さく叫びました。私も、彼の行動力と度胸のよさには驚いていましたが、すぐに彼は戻ってきました。
どうやらサインはもらえなかったようです。おやつをもらい損ねた子供のように、不満げな表情で、
「サインしてくれなかったよ……。はるばる日本から来ているファンに対して失礼だよ。まったく……」
彼はムキになって、私たちに不満をぶつけます。しかし、当時のブリジット・バルドーといえば、飛ぶ鳥を落とす勢いの、世界に知られた大スターで、いちいちサインに応じていたら、体がいくつあっても足りないくらい。サインは断られて当然でした。
第一、欧米では、公私の区別がはっきりしていて、相手がプライベートのときは、その立場を尊重するのが礼儀なのです。
しかし、日本の職場できっと「先生、先生」とちやほやされ、小さいときから金持ちのお坊ちゃんで育てられた青年医師は、相当な自信家であり、思い通りにならない現実に、腹が立ったのかもしれません。
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