恵まれていたことに、第一志望校を私学に絞ることを許してもらえたので、英語、数学、国語に絞って、自分なりの方法で徹底的に詰めていきました。ただ、それまでの積み重ねがあまりないので、気持ち的にも実力的にも「試験当日までに、自分のできる最大限のことをやり、しかも当日に最大限の力を発揮する」しかなかったので必死でした。

後から親に聞いたところによると、それまでふっくらとしていた頬がこけるくらいの様子で試験の日を迎えたようです。

そんなあり様でしたから、夏休み以降の半年というもの、かなりの緊張の中で頑張りを維持しなければならないこととなりました。なんせこつこつ積み上げているわけではないので、かなりの分量のことをかなりのペースでこなしていかなければなりませんでした。

その現実に、夏休みに入る頃に直面して愕然としました。劇画風にいうと、「ガーン」という言葉と共に立ちつくす姿そのものです。

やったことをどれだけ吸収できるかは別として、真面目にやろうとしたらそれなりにできる気力と体力と知力は親からもらっていたので、最低限のことはできたと思います。でも、当時の自分はそんなことを客観視できる状況でもないし、余裕もないし、ただ最後の最後まで力を出し切るしかなかったのです。

結局、必死にやり抜き、しかも親も学費を出してくれて(そういう経済状況であったことに感謝。一人っ子であったからという状況もあったことを後に理解)、行きたかった私立の高校に行くことがかないました。付け焼刃ではありましたが、それなりの努力により合格できたのは、とにかくラッキーでした。

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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