五、 さすらいのギター

加藤清武は一九六五年に工業高校を卒業し、運良く学校からの推薦を得てニホンタイヤ株式会社へ入社した。初任給は一万六千八百円だったと彼は記憶している。

配属された職場は東京都下にある技術開発センターのタイヤ実験部という部署であった。

食堂や大浴場完備の独身寮が職場に隣接して建っており、加藤はそこに入寮した。

独身寮は二人部屋であった。同室者は同期入社の茨城出身の石岡稔(いしおかみのる)で、彼は材料部所属である。

熊本出身の加藤と茨城出身の石岡とでは、言葉も違うし、育った環境も異なる。しかし、理解し合おう、助け合おう、我慢し合おうという気持ちがお互いに少しあったから、二人の関係はうまくいった。

六ヶ月間我慢すれば個室に移れるというルールがあったので、その点でも精神的にはコンフォタブルであった。

しかし同部屋でありながら話もしないという関係の方が多かったので、石岡、加藤の関係はラッキーだったのかも知れない。

石岡はギターがうまく、夜はいつもクラシックギターを奏でていた。それを聞くのも加藤の楽しみの一つであった。

石岡の得意の曲は『アルハンブラの想い出』『悲しみの礼拝堂』等であり、それらの哀愁を帯びたメロディーは、加藤をはるか遠い彼方の未知の世界へ誘ってくれるかのようだった。

そんなある日、石岡が加藤に、

「おい、エレキバンドを作らないか」と誘った。

次回更新は6月24日(火)、21時の予定です。

 

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