【前回記事を読む】やがて医師たちは奴隷から市民へ――中には皇帝の侍医になった名医も
第二話 医学医療の暗黒時代
―「教条主義」の横行―
「中世」という時代
2000年以上も前に地中海世界を統一したローマ帝国も、東西の分裂(395年)や民族大移動の大波などによって次第に衰退します。
5世紀後半には、ゲルマン系のフランク王国などさまざまな国々が割拠して抗争を繰り返す中で、封建的主従関係と荘園という独自の仕組みを持つ封建社会が育っていきます。
ここから15世紀まで約1000年もの長い間、ヨーロッパは中世と呼ばれる時代に入ります。
強固な身分制度の中で、西欧ではローマ・カトリック教会、東ローマ帝国ではコンスタンティノープル教会が最高の権威となりました。
彼らの教義に反することは、全て厳しく弾圧され、上位者に対する反論や自由な発想などは全く許されないものとなっていました。
「神秘主義」と「教条主義」が重視される世界では、自由な発想は完全に抑圧され、「中世の暗黒」とまで言われた時代が長く続きます。
疫病の流行と無力な医療
中世ヨーロッパでは不潔な生活環境の中で、さまざまな疫病が何度も流行しました。しかし、新しい医学医療の進歩はほとんど見られなくなってしまっていたのです。
神や聖人(ペストには聖セバチャン、歯痛には聖アポロニアなど)への祈りなど、宗教や呪術に頼る医療が無力であったことは言うまでもないでしょう。
古代ローマ人が大好きだった入浴ですが、カトリック教会の支配が強まる中で「裸体は汚らわしい」とする考え方が広まり、裸体彫刻や公衆浴場は姿を消していきました。
悪疫の流行も、上下水道や公衆浴場といった公衆衛生面での配慮が怠られたことと無関係ではなかったのでしょう。