しかし、「男性ではない、医師ではない、東大(出身)ではない」という「3ない」状態の私は、周囲が皆優秀な研究者ばかりのこの研究所内でたびたび悔しい思いを経験したのも事実です。

そんな私を所内の大勢の同じような立場の仲間が惜しみなく応援してくれたのです。例えば、私が論文執筆途上で健常者のデータが必要になった際には、多くの所内の仲間が(それこそ守衛さんまでもが)、こぞって被験者として実験に協力を申し出てくれたのです。またずっと後になって所内の仲間は神戸大学への転出のきっかけを作ってくれたばかりでなく、着任が決まった時には開所以来「後にも先にもただ一度きり」の所長を含む所員総出での大送別会を、後述のI先生や部門関係者を中心に企画・開催し、沿線のホテルで大変盛大に催して私を送り出してくれました。

私は仲間の応援を心から嬉しく感謝しました。研究所仲間からの応援メッセージが書かれた色紙2枚は神戸の新居の壁に、また大学退職後に設立した研究所のオフィス内に飾っています。

所内同僚の連帯と友情に感謝します。その神経研も後日統合され、別の名称の都立研究所として存続しています。

就職翌年、夫に札幌転勤の辞令が出ました。それは私にとって大変衝撃的な出来事でした。

何しろ、その当時養成校を卒業したばかりの「ひよっこ新人ST」が最初のわずか1年でここまで成長できたのは滅多にない素晴らしいことであり、この環境でしか得られない特権だったのですから。

私はぜひ東京に残ってこの千載一遇の研究環境を生かしてさらに勉強したいと思い、夫に同行を躊躇しましたが、相談の結果、最終的に夫婦一緒に移住することにしました。

その年から 1989年までの転勤期間中に市内の全道ナンバーワン規模の脳外科病院での ST活動に従事し、そこで失語症に関するキャリアを積み、悩んだ末とは言え結果的に貴重な経験を得て研究所に戻ってきました。


(1)関啓子、杉下守弘、「メロディックイントネーション療法によって改善の見られたBroca 失語の一例」『脳と神経』35:1031-1037, 1983

 

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