1916 (大正5)年東京帝大在学中に発表した『鼻』が夏目漱石に評価され、文壇に登場。卒業後、海軍機関学校の嘱託教官として英語を教える傍ら、『芋粥』(1916)、『奉教人の死』(1918)、第一短編集『羅生門』(1917)などを発表。
1919年海軍機関学校を辞職、大阪毎日新聞社社員として文筆活動に専念する。1927 (昭和2)年35才で自殺した。芥川比呂志、也寸志の父。

〈筆者撮影〉
最初は芥川龍之介篇。芥川龍之介という作家は近代以降の日本文学を代表する存在。明治以降の歴史的推移のなかで「日本文学」という文化ジャンルにおいて出版社という母体を作った菊池寛(文藝春秋社創業者)が、「芥川龍之介賞」という表彰制度を確立した。
「芥川龍之介賞」、通称「芥川賞」は、新進作家によって雑誌に発表された純文学の中から選ばれるもので、新進作家の登竜門として認知されており、この賞を受賞できるかどうかで作家としてのキャリアが変わるといってもおかしくない文学賞のひとつだ。
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