結果、これ以上、ここでは働けないと判断し、開店して1ヶ月で私は店長を辞任することにしました。オーナーも私からの申し出を待っていたのか、引き留めることはありませんでした。
ただ私の仕入れたアジア雑貨やエスニック衣類は全て買い取るようにと言われたので、以前の仕事場の退職金を全てはたいて買い取りました。勤務の最終日、店を閉めてから、大量の在庫を車に積み込み、現金で支払いを済ませ、家に帰りました。
諸々、最後の片付けがあったので、夜遅く帰宅したのですが、当時、小学生だった息子たちはずっと起きて待っていて、私が玄関の戸を開けるなり、「ママ、頑張ったのにね〜」と泣きながら飛びついてきました。
電話で話していることや、私の話を聞いて、彼らなりに私を応援し、心配してくれたのだと思います。お店では涙を流さなかったけれど、その瞬間、私の涙腺が決壊! わんわん泣いてしまいました。
前の職場を辞めてから、新しいお店をオープンするまで、1日たりとも休まず、それまでは気を張ってなんとかやってきたけれど、いよいよ自分の気力も体力も限界! それから丸1日、倒れ込みコンコンと眠り続けてしまいました。
初めての店づくりに全力で奔走し、ようやくオープンしたものの、オーナーとうまくいかなくなって、オープン早々辞めるなんて、まるで漫画みたい。全速力で走っている所につっかえ棒が出てきて、勢いよくすっ転んだ私。
お店に対する思い入れが強かっただけに残念でなりませんでした。つっかえ棒があることなんて、全く想像もできず、ひとりよがりで走り続けていたバカな私……。
ホウレンソウ(報告〜連絡〜相談)とよく言われますが、私は任せてもらえたのだからと、全て自分で決めてオーナーには事後報告。そんな店長だったら、経営者が私のやり方に不信感を抱くのも当然。
今ならそれがよくわかります。でも当時の私は何しろ悲しくて悔しくて、むしろ、こんなに一生懸命やったのに、どうしてわかってもらえなかったのだろう?と嘆いてばかり。
お金があったら、あの店ごと私が買い取りたいなんて思いながら、私は自分の引き起こした状況が、全くの責任転嫁だということに気づいていなかったのです。
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