しかし、明治末期から大正時代にかけて、この地は帝都東京を守るための重要な海軍基地として造営されて、野島道や周辺の遠浅の海は埋め立てられてしまい、昔の風光明媚な姿は消えたという。

図書室に置かれていたこの周辺の地図の表紙には、【海軍省検閲済】の赤いスタンプが押され、野島や夏島の周囲は空白になり、詳細は何も記載されていなかった。

今奈津の目の前に広がる風景では、野島と夏島との間の遠浅の海は、海軍航空隊の追浜(おっぱま)飛行場になり、その向こう側には、広い敷地の上に海軍工廠(かいぐんこうしょう)の灰色の建物群が見えていた。

 

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