それでなくても、普段から些細なことで、すぐ人を責めてしまう性格の持ち主である。自己中心的なので、自分のことは思い切り棚に上げていたと思うが、人に抗議をするという行為は父の得意分野だった。
また、手先が器用なので、何でもできる人だった。
若い頃は、よく庭で作業していたことを覚えている。
セメントをこねて左官屋の真似事のようなことをよくしていた。
勝手口から道路に出るまでの石段は、父の手作りだったし、庭に穴を掘ってセメントで固めて小さな池を作ったこともあった。
父は何事にも抜け目がなかったし、思い立ったらすぐ行動するタイプで、行動力がある上に、自分のやることは全て正しいのだと言わんばかりに、いつも自信たっぷりに振る舞っていた。私もそんな父のことを一方では嫌いながらも、また一方では頼りにしていた部分もあったと思う。母も父の良い面だけを見るようにしていたのか、父のことを信頼していたし、頼っていた。
典型的な亭主関白だった。
まじめだが、時々、冗談を言って人を笑わせたりすることもあった。
お人好しな一面もあり、よく気が回るので、おせっかいなくらい親切なところもあった。
そして、私たち子どものことを可愛がっていた面も確かにあった。
しかし、大人になってから気づいたことだが、父が子どもに対して注いでいた愛情は、子どもの立場を尊重して注いでいたものではなく、自分本位の利己的な愛情だったように思う。
👉『続・人災 子どもは親を選べない ~“毒親”は“家”を滅ぼす~』連載記事一覧はこちら
【イチオシ記事】あの日の夜のことは、私だけの秘め事。奥さまは何も知らないはずだ…。あの日以来、ご主人も私と距離を置こうと意識しているし…
【注目記事】ある日今までで一番ひどく殴られ蹴られ家中髪の毛を持って引きずり回され、発作的にアレルギーの薬を一瓶全部飲んでしまい…