それでなくても、普段から些細なことで、すぐ人を責めてしまう性格の持ち主である。自己中心的なので、自分のことは思い切り棚に上げていたと思うが、人に抗議をするという行為は父の得意分野だった。

また、手先が器用なので、何でもできる人だった。

若い頃は、よく庭で作業していたことを覚えている。

セメントをこねて左官屋の真似事のようなことをよくしていた。

勝手口から道路に出るまでの石段は、父の手作りだったし、庭に穴を掘ってセメントで固めて小さな池を作ったこともあった。

父は何事にも抜け目がなかったし、思い立ったらすぐ行動するタイプで、行動力がある上に、自分のやることは全て正しいのだと言わんばかりに、いつも自信たっぷりに振る舞っていた。私もそんな父のことを一方では嫌いながらも、また一方では頼りにしていた部分もあったと思う。母も父の良い面だけを見るようにしていたのか、父のことを信頼していたし、頼っていた。

典型的な亭主関白だった。

まじめだが、時々、冗談を言って人を笑わせたりすることもあった。

お人好しな一面もあり、よく気が回るので、おせっかいなくらい親切なところもあった。

そして、私たち子どものことを可愛がっていた面も確かにあった。

しかし、大人になってから気づいたことだが、父が子どもに対して注いでいた愛情は、子どもの立場を尊重して注いでいたものではなく、自分本位の利己的な愛情だったように思う。

 

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