とにかく、父は人の気持ちを汲むとか、相手の立場に立って考えることができない人だった。公共の乗り物である列車の車両の通路に陣取って居座ることを当然の権利だと思っていたのかもしれないが、通路を歩く人に対する配慮もなければ、年頃の娘の気持ちなどわかるはずもなかった。神経質で繊細なようでいて、他人への気遣いはなかった。

このように、父は自分の支配下にある身近な人たちには、さんざん嫌な思いをさせてきたと思う。しかし良い部分もあったので、心の底から嫌悪していたわけではない。

父の行為に感心したことがある。

ある日、我が家の庭にしぼんだ風船にくくりつけられた小瓶が落ちていた。その小瓶の中には手紙が入っていて、子どもの字で名前や住所まで記されていた。

今では考えられないが、その頃より少し前に、小瓶に手紙を入れて海に流したり空に飛ばしたりすることが、一部で流行っていたような記憶がある。

当時、我が家は滋賀県の大津にあったが、その手紙に記された住所は兵庫県の加古川あたりだったと思う。その手紙の主が子どもだったせいか、父は、風船の残骸に手紙を添えて、その子ども宛てに送り返していた。

風の力で百キロメートルもの距離を飛んできた小瓶のように、小さな力でも大きな仕事を成し遂げることができるのだということを伝えようとしている内容の手紙だった。手紙など書かずに無視してしまう人もいると思うが、父はこういうことは無視できない、放っておけない性分だった。

私が中学生の頃のことである。友だちに年賀状を出したのに届いていなかったことがあり、そのことで友だちから責められたことがあった。届かなかったのは、郵便配達をする人の不手際だったと思われるが、そのことを知った父は酷く怒り、郵便局に抗議してくれた。かなり厳しい口調で文句を言ったようで、後日、郵便局の人が神妙な面持ちで我が家まで謝罪に来たことがある。

とにかく、律儀で几帳面な性格だったことは間違いない。しかも、寛容さがあまりない上に、何でも思ったことをすぐに口に出して、はっきり言うタイプなので、こうした他人の過ちは見過ごせなかったのだ。