最後のマイ・ラケットを破壊する姿がかっこいいと見ていたその者は一部始終を周囲の人物に触れ回ったが、みな妖魅の件は冗談だと捉えた。人は薄情であるが、怒りにまかせてマイ・ラケットを破壊する行為を好感した。やがて世に、失策があるとマイ・ラケットを破壊するという行為が流行した。
世は儚く、実りがない。しばらくすると識者が、そうした行為は物を作る労働者を貶める行為なのではないか、とスズキ青年を攻撃した。
スズキ青年はやっていられない。職を投げ捨てて、酒保で買った強い酒を飲んで憂さを晴らしていると、どこかの製造所のリーダーが労働者を引き連れて訪ねてきた。
叱られるのではないかとスズキ青年は身構えたが、非難ではなく賞賛を与えられた。「あなたがインフルエンサーとしてラケットを消尽してくれたおかげで、ラケット製造の我が社はたいへんな好景気です。お礼を申し上げるとともに、ここに少額ですが寸志を捧げます」といって多大な報償を置いていった。
次には酒保の飲み食いではなく、再び飲食店で御大尽となった。一晩かけて懐の中身を費やすと、朝方になってお開きとなった。物を壊せば、また作れば良いのだ。
するとスズキ青年にも、大きな見返りがある。酒精を浴びた勢いでそう短絡し、まだ暗い明け方の箱船を見渡すと、荒々しい意思が体を満たして……。
仙人裁判
箱船はすばらしい理想社会なので、劣った人間には居場所がなかった。劣った人間は蔑まされ、憎まれたのである。スズキ青年がひねった人格になったのも、自己責任だと市民は喜んだ。
すばらしい社会が、それほどすばらしくない住民を貶めるのである。しかしスズキ青年、そこはもう織り込み済みで、独りで生きる喜びを見つけた。人のいない場所で野宿をするのである。天幕や食料、料理道具をコンパクトにまとめて、今回は海辺へ出向いた。
港町を循環する最終バスのエンジンは轟音を上げて咆哮し、ヘッド・ライトは暗闇の底に沈んだ港町を照らし、漁村の静かで質素な姿が現れた。目的地で降車し、最終バスが去ってゆくと潮の香りが漂う中で波の音だけが傍らにあった。
粗末な道路が行き詰まると、もうすでに浜辺だった。浜辺は緩やかに勾配をして水際まで続き、浜風に煽られて波打ち際が白く鈍ると、波打ち際がうつろに確認された。
人家は遠く、人気(ひとけ)もなかった。
波の気配を一度は強く感じたが、水しぶきの先でそれ以上の侵入は止め、闇の中で海の気配に満たされると高台を探して取って返した。適当に天幕を展開し、手頃な流木をナタで割いて薪とした。
横たわって沈黙をしていると、飛翔してきた蝶の羽を煽られた炎が焼き焦がし、悶死をするのを見届けた。
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