夜になって大坂は、昼間の襲撃の残り火が各所で燃え広がった。世間はこれを〝大塩焼け″と呼んだ。だがそこには勧善懲悪を目指す平八郎への敬意が込められており「大塩様、どうぞご無事で」と、各所で町人たちが火を見て拝んでいたという。
SNSがなくても「噂」の伝播は高速である。翌日には江戸はおろか、九州や北陸にまで情報が届いていたことを証明する史料も残っている。幕府は各藩に「大塩狩指令」を発令し、即座に人相書を全国へ配布した。その際大塩一党は「放火騒ぎを起こした不届き者たち」と断じられ、その経緯や意図などは一切封じ込まれた。
だがそうしたごまかしは侍の世界では功を奏しても、庶民の口に戸は立てられなかった。幕府が湯屋や髪結所などに大塩の噂話を禁じる札を張る。だが民衆はその張札の上に、大塩を「世直し大明神」とする風刺画を印刷して貼っていった。
天満橋の上を町方たちが夜回りしていく。淀川には小船が浮いていて叛乱の残党数名が乗っている。その中には頭を丸め坊主に変装した平八郎と格之助もいる。カイと意義はこの一団からはぐれてしまっていた。平八郎が意気消沈した残党を見回して言う。
「顔を上げよ、皆の者。まだ何も終わっておらん。わしは無思慮に事を起こしたわけやないで。まずはわしらの存在を知らしめること。その意味で初手はまずまずやった」
残党たちの顔が明らんだ。
「すでにわしは江戸の幕閣宛てに建議書を送ってある。これだけの騒ぎを起こした張本人の書状、目を通さんわけにはいかんはずや」
なるほど、と頷く者が出てくる。
「わしと格之助はこれから某所に潜伏し、その成り行きを陰ながら見届けるつもりや。お主らはまず、ひと月逃げ回れ。ひと月もあれば何がしかの反応があるはずや。そしてもし公儀が正されぬようなら」
ごくり、という微かな音が川面に落ちる。
「全員、腹を切って果てよう」
残党たちが大きく頷いた。そう、最期は華々しく散ればよいのだ。武士道は死ぬことと見つけたり、だ。
次回更新は6月7日(土)、11時の予定です。
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