初めに
本書は日本列島俯瞰記かもしれない。
一、それは、今は亡き妻・陽子とフルムーンチケットでJR鉄道海岸線の全国一周旅行を果たした事。
二、住友銀行引退後、同僚と月山会を結成し関西百名山踏破を目指した事。
三、山岳ベテランの友人と日本二百名山踏破を画策し82才まで挑戦し続けた事。
人間とは分からぬものだ、中学時代、肋膜炎で一年休学したが社会人となり定年まで風邪の欠勤なし。還暦引退後から31年後の現在、まず健康で登山をものしている。現役は住友銀行在勤中、40代前半から六甲登山を始めたのが健康の元かもしない。
当時、宝塚市雲雀丘山手の自宅から多い時は年間50日登山していた。本店人事部在勤中、行友会の山岳会長を引き受け、職員に登山を勧奨した。
大きな青い旗に、フィトンチッドを浴びようと白で染め抜き、参加者に考案した住友銀行ハイキングクラブのバッジを配布したり、奥穂岳から吊り尾根経由、岳沢を下ったが、初心者の頭取女性秘書等が落伍せずに下ったのには感動した。懐かしい思い出である。
以後、82才までは全国の山々の登山に集中し、百名山65、紀伊半島は殆ど踏破、現在は鳥取県界隈の登山にいそしんでいる。
郷里、用瀬町の裏山連山を用瀬アルプスと市役所に提案し地元有志により整備され今や、人気の中級コースに定着したのは格別嬉しい。
東北地方の紅葉の鮮やかさは寒暖の差と見抜いた。10才若い山友達が俊足で必死に後追いした仙丈ヶ岳を忘れないが、鍛えられたと確信する、思い出多い登山の師である。
75才、6泊、念願の大峯奥駈道を踏破したのが最高の思い出だ。紀伊半島、日本の秘境大杉谷は感嘆詞そのものであった。
妻との旅行、山歩きによる日本の自然の美しさに感動、北は東北から九州まで、各地の山々、中でも北アルプス穂高岳、立山をはじめ、南アルプス、紀伊半島、東北の山々等々で神々の実在を確信した。私には何と申しても北アルプス、中でも槍ヶ岳であろうか。
平安時代からの無形文化財、流し雛の里で知られる郷里・鳥取県用瀬町宅にて地元銀行役員引退後、鳥取県の寡占紙、日本海新聞に寄稿し続けたものを見たら神様とか登山に関係するものも多く、今回それを纏めた。
美しい日本の自然は、神様の衣装函のように思えてならない。