いずれにしても、ヴィクトリア朝古典主義を代表する画家たちは、浮世絵の影響がヨーロッパの絵画を非遠近法的な色面と輪郭線から構成される装飾的平面へと変容させてゆきつつあった時代にあって、イタリア・ルネサンスを経由したギリシャ芸術を範とし、厳格な遠近法に基づく立体的な物体表現の極致を追求した。
しかも歴史や神話を題材とした劇的演出を凝らした作品で絵画の醍醐味を反復制作していた。私は、ウォッツをこのような古典主義の一翼を担う画家とみなすことで、何が見落とされてきたかを明らかにしたいと思う。
そのためにまず『希望』について今まで見過ごされてきた側面に着目し、この作品の潜在的な意味を回収したい。
しかしそれだけではこの画家の存在意義を不当に限定してしまうことに変わりはない。この作品が彼の評価を固定してしまっている状況に揺さぶりをかけなければならない。
そこで一切の先入観を捨てて、彼の全作品の中から今まであまり注目されてこなかった優れた作品を選び出して吟味し、この画家をヴィクトリア朝古典主義の枠組みから解放することができないかを検証する。
彼を絵画史の流れに逆らう独自の表現者として捉え直したいのだ。
『希望』以外に見直したい作品には、まるで円蓋ドームの内壁に描かれたかのように多数の人体が上下に連なるように描かれた作品や、少人数でもダイナミックな動作の真っ最中で一時停止したような状態を描いたものがある。
それらは、今まで見過ごされてきたウォッツの特徴がどのようなものかを教えてくれるだろう。
その特徴とは、16世紀末にローマから始まって全芸術ジャンルを巻き込みながらヨーロッパ全土を席巻し、やがてポルトガル語で「いびつな真珠」を意味するbaroccoをもとにバロッコ[葡伊]とかバロック[仏独英]と呼ばれるに至った―あの動的で劇的な表現を好む様式に通じるものである。
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