「本気で戦わなかった!」

「?」

街が開催した水泳大会に、泳ぎの上手い三郎も、周囲から推されて出場したが、鳴り物入りの選手との競り合いで、なぜか呆気なく競技から脱落した。

その試合を見物していた母親が、納得が行かずに、三郎を捕まえ咎めたら、「それはな、勝っちまったら、俺が五体満足で帰れなくなる!」と答えた。

女学生だった母親がそれを聞き逆上して、「このー、矢張り足が吊った振りは八百長だったの? だったら、私と本気で勝負しなさい!」と、意味不明な事を言い、母親が六郷橋まで数回の勝負を父に挑み、全て三郎に負けて仕舞い、悔しい思いをしたそうだ。

母親曰く、「この男は、本気で勝負して負けたのならいいが、女学校一の私を、簡単に抜いて負かしやがって、断じて許せない!」と、自分との勝負の結果以上に、先ほどの手抜きの勝負に腹を立てていたのだ。

たかちゃんが聞いた、父親と母親の後日談なので、母親を気に入ったのはなぜと、たかちゃんが訳を聞くと、父親曰く、母親の着ていた最新型の水着姿が、兎に角、眩しかったとの事、勝負よりも目に焼き付く様な水着姿だったらしく、誰よりも一番綺麗だと思ったからだそうだ。

その後、召集令状で無理矢理に戦地に行かされても、その時の母親の顔が、見上げた夜空に浮かんで見えて、他の女性には興味など湧かなかったらしい。その話を横で聞いた母親が、顔を真っ赤にして、それを言う父親の顔も見ない。

その女学校では、母親は専ら日本泳法で立ち泳ぎが自慢だったのだが、それを娘のたかちゃんに教え込もうと、母親曰く、「腰まで水面に浮上させないと弓が引けないのよ!」