「昭佐、ご苦労。真鶴では皆息災か」

「はい。お陰様で元気にしております」

昭一郎伯父は、整えられた長髪に、上下白の夏背広姿だった。

「よろしい。ここは君に任せる。しっかり頼む」

「承知しました」

中は薄い壁で仕切りがなされ、隣の間では、褐色に日焼けした現地人らしき数名がいた。精悍な若者達で、遠目でも彼らの眼光が鋭いことが見て取れた。

翌日から仕事は始まった。川岸の崖には廃墟のような小屋もあった。なかには錆びた鉄製の観音扉が隠されている。

ここが本当の倉庫だった。昭佐がバンコクから運んだ荷とは別に着任翌週から届く様になった新たな荷は、こちらの鉄の扉の中に収納されていった。新たな荷が届いた日、昭一郎がやって来た。

「これは三八式歩兵銃とその弾薬だ。サンパチ銃という。明治三十八年の採用で陸軍歩兵部隊に配備された。口径六・五ミリ、銃身全長百二十八センチ、重量三・九五キロ。装弾数五発。兵士は六セット分の三十発を二つの革製の弾薬箱に入れて六十発を左右の腰に下げ、背嚢(はいのう)にさらに六十発を背負う。それが一会戦分だ。こっちは、口径五十ミリ、全長六十一センチ、四・七キロ、八九式重榴弾筒と弾丸だ。榴弾は手榴弾の三倍の威力だ。八九式はジャングルで使い易いのだ」

それらが梱包されている木箱にも「輝竹石鹸」と刻印されていた。

「要するに、この石鹸の木箱は、陛下からお預かりした品物だ」

止むことの無い豪雨の中でも、伯父のその言葉だけははっきりと聞き取れた。昭一郎はかつて海軍の大尉だった。今は商社で民間人だが海軍の軍属である。

 

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