ようやく辿り着いた建物に入り、待合室のドアが開くと、隙(すき)のない所作の男が入室してきて「社の者だ」と挨拶した。
「遠路ご苦労様です。早速ですが、伯父上殿へこれを届けていただきます」
隣接の倉庫には大型の木箱が大量に積まれていた。
「石鹸です。國分さんには、これをビルマ国境のメソトまで運んでいただきます」
礼儀正しいもの言いだったが、有無を言わせぬ口調でもあった。
「石鹸、でありますか?」
新聞社がなぜ石鹸なのかと思ったが、木箱には〝輝竹石鹸 國分商店〟と刻印されていた。
「明日出発していただきます。明朝七時に宿にお迎えに上がります」
それだけ言うと、男は退出してしまった。
あくる日、昭佐はバンコクから北に四百七十五キロの距離にあるビルマ国境の街メソトへ移動した。そこには狭い川岸に桟橋があり、川岸には倉庫が建てられていた。
倉庫の入口には「國分商店」と墨で書かれた木片の札が掲げられていた。なかに入ってみると床は青竹を割って並べた造りで地面が透けて見えた。
すると奥の方から野太い声が聞こえた。それが伯父の國分昭一郎(こくぶしょういちろう)だった。