しかしそのような落ち着いた日々にあっても、更に何かを求めていた記憶。隣で全く明るい夫。私自身、自身の何故かをわかっていない故に体の中にひそんでいる熱量を計りかねていたように回想している。

もう寄る年波、更なるものを求めることは止めよう。倶楽部の評価も上々で穏やかに日々を重ねていけるのに何をどうしようというのか?

心の奥に潜んでいる得体の知れないもの。当時私の周辺にあった様々な誘惑が要因であったのかも知れない。落ち着き始めると又心が暴れる。気持ちが揺れ動いてしまう私の性分。

そのような折に東京で友人と会う。当時デパートのトレンドといわれていた二子玉川。二人の待ち合わせは大体決まっていた。

私が三十才頃迄は渋谷~二子玉川間は路面電車であった。出発ベルが鳴っていても、走りながら手を振ると止まってくれるというローカル感漂っていたかつての桜新町も変わってきていたが何故か玉川高島屋のトレンドは人々を引き付けていた。

その人はアンティークジュエラーとしてヨーロッパに通い続けている、私より若いH嬢。会うと話題はいつも噂話等、様々に及び終わりが見えない。

私の今の心を知ってか知らずか、ヨーロッパ同行に誘われる。何気ない会話の中で、私の心の中を読み取られていたのか。揺れ動いていることに気付いている。

私の中に何か求めていた漠然としていた風景は、このような変化であったのか。しかしこの話は私にとって余りにも不相応であった。

それは今回が初めてということではなく誘いにはいつも「ノー」であった。ヨーロッパ骨董なるこの高いハードルに知識が全く無かったことが断り続けてきた理由であった。

無鉄砲に突進するかに見えて非常に臆病な女でもある。しかし久し振りの再会であった彼女と四方山話をしているうちに誘いを柔軟に受け止めている気持ちの変化に気付き始めていた。

不安の無い安定の日々に私は見切りをつけようとしているのか。非常に注意深い筈の女が新しい見知らぬ世界への選択に傾き始めていたのだろうか。

条件の整わない私には、いばらの道が想像される。しかし傾きかけていた気持ち。歩んだことの無いこの世界。全く経験したことの無い道には大きなチャンスが隠れているのかも知れない。

急に不安という事柄が消え去っていく。私はきっとやっていける。

 

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