【前回記事を読む】「姉やん」と呼ばれ「その言い方好きじゃない」というと「そう言いたいんだ」と男性がニヤリ。しかし「姉やん」は大ブレイクし…

初めてのヨーロッパアンティーク買付け

倶楽部のしつらえは海外から連れてこられたアンティーク、異質な生花等の取り合わせは、ことごとく好まなかった。マンネリ化に陥りがちなこの倶楽部のフロアーに、ある日突然雑木林が出現した。

直径が一メートルにも及ぶ常滑の大瓶の中に吹き抜け天井に届きそうな雑木がストン、と入れられていた。ステージには木々の香りが漂っていた。

当時日本で著名な華道家といわれていたK氏にちなんで、倶楽部のK氏とはやしたてられてもK氏が何たるかを知らずにキョトンとしていた。

その男こそピンポンハウスを主張して譲らなかった夫である。又晩秋には想像を超える大量のすすきが大瓶に飾られた。自然の力強さはすべてを凌駕していた。永年金融の世界を歩んでいた男。異世界も知る驚きの進化を遂げていた。

自然を最大限に生かすこの手法は評判を呼び、喝采を浴びた。この淡とした姿。林の中の高原の倶楽部は、いつからか二人のものになっていた。

運転免許取得秘話

別荘を建てようという話が持ち上がった時に越えなければいけない大きな峠。運転免許取得という私にとっては、とんでもない難題が立ちはだかっていた。

「自転車だって乗れないじゃないか君には無理なことだ」と永年私がハンドルを握ることには大反対であった夫。自分がするから君は必要無いという意見を繰り返し、話はいつも平行線であった。

誰かに言われる迄もなく、最も不得意なジャンルであることは自身一番わかっていた。しかしこれは軽い気持ちで戦うのではない。ここから先に至り行く、はるか遠くを私は見ていた。このライセンスは必須であった。この峠は絶対に越える。ドライビングスクール入校を決断する。

とんでもない不適格な女の教習所内試験の落第は四回にも及ぶ。更に路上検定においても不名誉な上塗り四回。ドライビングスクールにしても匙を投げたくても見放すわけにもいかず特別な教官チームを作った。女は全く見るに耐え難い哀れな迄の姿となりながらも、どうにか免許取得に至った。

栄光の全く無かった私だが教習所に残る一つの逸話が有った。「筆記試験で満点の教習生が一人いる」といわれていた。最長の半年間通い続けたこの教習生へのせめてもの労い。今でも忘れていない。

後年一人でハンドルを握りドライビングスクールの路上教習通りとなっていた世田谷通りあたりを走っていると教習車と離合することが多々有った。

窓越しに私を見付けて「おいおい無事にやってるか?」と不安は拭い去られていない様子が目で読み取れた。「ソーリー大丈夫ョ」と、私は笑顔で答えていた。永い年月に亘りこのライセンスは私の人生にとって欠かせない役割を果たしてくれることになる。