【前回記事を読む】結婚から三十年、別荘の使い道を巡り初めて夫婦に争いが起こる。救いの手を差し伸べたのはある木だった――
倶楽部の行方
しかし木は思いもよらない偉大な力を秘めていた。私には見えない木の魂に夫は出会っていたのかも知れない。
高原の倶楽部の一員になった木に夫がここ迄急変してくれることは想定外であった。植木屋さんの指導通りに植えた根本から直径五メートルにも及ぶ大きなドーナツ型の壕を掘り効率よく水を吸い上げるようにする作業は夫がすべてやるという、考えも及ばない想定外のことであった。
高原に通う最大の楽しみ、それは木の手入れをすることとなっていった。実生は難しいといわれていた木が数年後二本、三本と育ち、希望があったお客様には、数年間倶楽部で育ててから渡していた。
この頃に至り成長して花が咲いたという報告が私のところに来るように。夫と私は心を一つにしていた。あのおおまかな夫がここ迄木々を可愛がる細かな神経を持ち合わせていた人であったことに驚く。プレイルーム構想はどこかに消え去っていた。
木は思いもよらない不思議な使命を持っていた。
ようやく着地点が見えた。花の木がかみ合わなかった二人の関係の修復に大きく貢献してくれた。譲り合えなかった二人の闘争。
後年更に数本の植樹をして、夏には大きな木陰を作り、秋には美しく紅葉した。各々の季節に合わせて木々を鑑賞する人々の訪れも有り、押しも押されもせぬ倶楽部のシンボルとなっていった。
物言わない高原の別荘に望みも持てず出口を見出せない二人の間に横たわっていた大きな亀裂も、考えられない程に好転を見せた。
今では夫の気持ちを大きく変えた花の木と、私が心に描いていたこのステージは両輪で、数年間は年に二回の「企画展」を掛ける形に定着していた。
高原の倶楽部はあの出発点の頃の不安定さは無くかつて断られていた新進作家のエキジビションも進んで展開してもらえる迄に出世した。
これはこの女主人の汗と涙のたまものである。この素人オーナーも見事な迄の存在に成長していた。茫洋とした心の中を永きに亘りざわついていた事柄は、このような姿に辿りつきたかったのであろう。
二人にとって不満の無い日々、意欲的な時間を送り、この安定感は上出来な筈では有った。この日々の訪れには今は何も望むことは無い筈である。