その日は会社の帰りに待ち合わせをした。洋食屋さんで名物の蟹クリームコロッケとハンバーグを食べている時に、栞はふと思い出したふうを装って話し始める。
「わぁ、このハンバーグ、肉汁たっぷりね。そうそう、話してなかったんだけど、少し前から料理教室に通い始めたの。うちの母のレパートリーは全然大したことないからそれほど教えてもらえるわけじゃないし、色々なお料理が作れるようになりたいなぁと思って」
結婚生活を意識してのことだとは悟られないように、できる限りの無邪気さを装う。
「ふうん、そうなの。仕事の帰りに通ってるわけ? で、どんなものを作ってるの?」
「うん。この前はね、カレーパンを作ったのよ。パンの生地から作るの。手作りのパン生地だから揚げたてはすっごく、もちもちの食感に出来上がったのよ。中の具は牛肉のひき肉を使ってジューシーだったわ」
「へー、パンまで作れるなんて本格的じゃない、俺、カレーパンが一番好きかも」
「ほんと? 今度よかったら私、作ってくる」
「お、いいねぇ。他にはどんなものを作ったの?」
「うん、デザートではね、ティラミス。ティラミスを作るのはすっごく大変だった。時間内では出来上がらないから途中まで作ったものを冷蔵庫に入れておくの。それで翌日のクラスの人たちがそれを仕上げて完成させるの。だから私たちも前日のものを仕上げて試食したわ。とにかく工程が多くって手間がかかるから、一人じゃとってもやる気になれないくらい。マスカルポーネっていうクリームチーズをたくさん使うって初めて知ったけど、正直お店のものにはかなわないと思ったわ」
料理教室の話を聞く間に、谷口は黙って店員に合図を送りテーブルで会計を済ませていた。栞がナイフとフォークを揃えて置き、水を一口飲むと、谷口は待ちかねたように立ち上がった。
「ごめん、なかなかゆっくり時間を作れなくって。今日はまだ仕事が残ってるから、栞ちゃんを送ったら会社に戻らなきゃいけないんだ」
本当に申し訳なさそうに言う谷口の横顔は、心なしか頬の辺りがこけたようにも見える。
「ううん、それでも会える方が嬉しいから、忙しいのにありがとうね」
「ほんと、こんなことばっかりでごめん。そうだ、今から遠回りになるけど、俺が設計した建物を見に行こうよ。付き合ってくれる?」
谷口が言い終わらぬうちに車は滑らかに走り出した。
次回更新は5月14日(水)、21時の予定です。