店内の照明は抑えられていて薄暗く、静かに流れる洋楽が心地よい。バーカウンターには一目で上質なクリスタルが使われていると分かる美しい輝きを放つグラスが、スポットライトに照らされていくつも並んでいるような店なのに、コンクリートのフロアには、客が無造作に投げ捨てたピスタチオやナッツ類の殻が片付けられることもなくあちこちに散らばったままだ。

栞はカウンターのスツールに腰を下ろすまでの間に、何度もヒールでその殻を踏みつけてしまうのには閉口した。

「踵でナッツの殻をバリバリ踏んじゃったわ、本当にスペインのバルみたいなお店なのね」

先ほどまでの鮨屋での喧騒とは打って変わって、静かで落ち着いたバーのスツールに腰かけて、栞は谷口の顔を見つめて微笑む。

「あはは、そうでしょ。いつ来てもここはこんな感じなの。タパスの種類は多いし、カクテルは頼めば何だって作ってもらえるよ」

確かにずらりと並ぶアルコールの瓶は圧巻だ。

「カシスベースでフレッシュジュースを使ったものが好みだけれど、いつもとは違うものも飲んでみたいかな。今日はお任せします」

栞の好みのカクテルはちゃんとあって、自分でオーダーできるのだが、ここは谷口に任せてみようと思った。谷口はフローズンのダイキリと、栞にはキールロワイヤルを注文した。

栞がカシスベースが好きだと言ったからだろうが、白ワインで割る一般的なキールではなく、敢えて高価なシャンパンを使うキールロワイヤルを躊躇なく注文するあたりにも谷口の大人としての余裕を感じて、栞はそんなところにも感心する。

それにしても、谷口はあまりアルコールは強くない、飲む雰囲気だけが好きなんだと聞いていた通り、一杯のダイキリを飲み終える頃には随分と饒舌になった。ちょっと飲むだけでこんなによく喋るようになるなんて安上がりだ、と栞は微笑ましく思う。

「栞ちゃんに会えて俺は本当に嬉しいよ、これ本気だからね」

さらに谷口は言葉を続ける。

「あのさー、栞ちゃん、でも俺、給料少ないの。聞いたらきっと驚くよ。どうする?こんな給料でやっていける? 栞ちゃん大丈夫?」

酔った酒場での戯言(ざれごと)だと分かっていても、栞は谷口のその言葉が純粋に嬉しかった。嬉しくて嬉しくて気の利いた言葉の一つも思い浮かばず、何も答えられずにただ黙って微笑んだ。

家に帰ってからも、何度も自分の胸の内で谷口の言った言葉を反芻して、その夜はなかなか寝つけなかった。

次回更新は5月11日(日)、21時の予定です。

 

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