【前回記事を読む】大卒女子学生の就職氷河期。私は「お茶汲み」「受付嬢」ではなく「総合職」レベルの待遇を保証してくれた某銀行の行員になったが……

第一部 社会に飛び出せ ―数奇な私の人生―

Ⅰ.突き進む「言語」の道

言語聴覚士を目指して

そして、当時全国で唯一存在していた国立のST養成機関の設定した受験年齢上限ギリギリの30歳を目前にした29歳の時銀行を退職し、大勢の入学希望者に混じって難関と言われた試験をドキドキしつつ受け、一次の学科試験および二次の面接試験の2回にわたる関門の試験に辛うじて合格し、やっとの思いで入学許可されたわけです。

実を言うと、私は仕事が多忙すぎ主婦として家事もこなさねばならず、この養成校の受験準備をほとんどと言ってよいほどしていませんでした。

そして、受験対策として推薦された国家公務員上級試験の過去問題集すら開く時間が取れず、いわば「ぶっつけ本番」の状態で受験したのです。

ですから、受験時に試験会場に溢れるほど大勢の人を見て怖気づきドキドキしたのは当然の反応で、合格できたのは、私にとってほとんど奇跡に近い一大事でした。

その時私は29歳、初めて STという仕事を知り失語症専門の臨床家になりたいと思った21歳の時から8年が経過していました。

そして、25歳で結婚した夫の応援を励みに、希望に溢れて第2の人生を歩み始めることになりました。