しかし手を合わせて拝む巳之吉の前で、美しい雪の姿は霞のようにみるみる薄れてゆき、やがて一筋の煙となって外へと出ていった。

『まだ乳の必要な末の男の子は連れていきます。どうか許して』

雪の悲しい叫び声が遠く消えていった。

『雪! 雪! 雪ーっ! 行かないでくれーっ、俺を一人にしないでくれーっ』

朝方、生まれて間もない幼子は安らかな顔で眠るように息絶えていた。いくら探しても美しい雪の姿はどこにもなかった」

「悲し過ぎる話だ……だけどなんか……すっごく美しい旋律(せんりつ)を聴くようだね」

僕は滲んだ涙に気がつかれないように、グラスの底に残ってぬるくなったビールを一気にあおった。

「そうだよ、雪女は妖怪でもお化けの話でもない。八雲が描こうとしたのは、美しさへの憧憬、死への恐れ、永遠の愛、献身なんだ。突然の別れという誰の人生にも起こり得る不可避のテーマを凝縮した、実に幻想的で深いメッセージなんだよ。小泉八雲の独自のストーリーと言っていいだろう、と私も思うな」

「すごいな八雲。滅多に雪の降らない松江で暮らしながら、凍死するほどの吹雪の情景をこんな物語に仕立てるなんて。アンデルセンの雪の女王や人魚姫の影響があるっていう、教授の指摘は間違っていないね。それにファム・ファタール(運命の女)みたいな西洋文学のモチーフもあっただろうし。女の子に縁のない僕にも巳之吉の気持ちはよく分かるよ」

夜も更けて外は相当雪が積もっているのだろう。シンとして物音ひとつなかった。

「ところでな、これは言っていいものかどうか……」

「何? 続編があるの?」

「実はな、亡くなった徹也(てつや)くんの親父さん、つまりお前の父方の祖父が大雪の日に酔っぱらって話してくれたことなんだがね。どうも雪女の話によく似た出来事があったらしいんだ、彼の家系にも」

「へえ! 初耳だな。お母さんからも聞いてないよ」

「そりゃそうだ。男にだけ代々伝えられる話だそうだからね。いい機会だ、お前にも話しておこうか」

 

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