第一章 生い立ちの記
二 あきらめ
その地で、両親も始めて迎えた冬は、六十年ぶりの大雪に見舞われたのでした。昭和十九年一月十六日、辺り一面純白な世界、白以外に色をなくしていました。
太ももまである長靴を履き一メートルも降り積もった大雪の中に、スッポリ入ってしまって歩くことができません。その中を、父は必死に産婆さんを呼びに行ったそうです。
一カ月も早い月足らずの五百匁(今でいえば二千グラム以下の未熟児)で、私は生まれました。この時、産婆さんに「この寒さでこんなに小さくてはシミてしまう」と言われ、人の子を「染みる」とは何事かと、父は腹が立ったそうです。
その地方では「シミるとは凍みる」という意味でしたが、東京人の父にはよくわからなかったのだと言っていました。子供の頃、父から聞いた昔語りの一つです。その子の名は「久美子」、父が「永久に美しかれわが子よ」と願いを込めて命名してくれたのです。
アルバムの写真の横にそんな心が込められているのでしょう、しっかりと几帳面に書かれていました。
その文字を見るたびに親の心を思うのでした。生まれたその日の雪のように、真っ白なキャンバスにどんな色を重ね、そして、どのような絵を描いていくことになるのでしょうか……。