ラファは私の体にそっと腕を回した。後ろから優しく抱きしめるラファの手に、りんごの甘い香りが漂っている。煤まみれになりそうなかまどの中から出てきたわりに、雪のように白い腕には私の気持ちを癒やすぬくもりがある。
「きっと大丈夫よ、涼。菅野さんなら、よく見つけてくれたって喜ぶと思うわ」
「そうかな」
「うん。あなたの覚えている菅野さんは、そういう人でしょう?」
「もちろん、そうだ」
「ええ。だから大丈夫よ。死んでしまった人はもう何も語れない。死者の代言は、生きている人間だけができる。あなたが覚えている菅野さんに、ほら、問いかけて」ラファは優しく、私を振り向かせた。
窓から光が差している。宙を舞う無数の小さな埃がきらきら輝いて、午後の日差しはただただ私を包み込んで暖かい。
その先に、菅野さんがいるような気がした。
「これを……」
私は彼に聖書を差し伸べる。そこに、受け取ってくれる人がいるはずはない。重力に引かれて、聖書は私の膝に戻ってくる。
「私に、読んでもらいたいってこと?」
「きっとそうよ、涼。読んでみましょう。ねえ」
ラファは優しく微笑む。私は恐る恐る、聖書のページをめくった。
幾年も閉じられたままであったろう聖書はパリパリと音を立てて、私の目に、聖書の文字はかろやかに躍る。
「私は、私は……」
わらわらと文字が動く。ぐるぐると目が回る。強力な眠気に襲われて、私は床にくずおれた。
家の床が、至るところ畳であって助かった。日に焼けた藺草(いぐさ)の匂いが、ふわり心地よく香る。
優しい微笑みをラファは浮かべて、私の頭をなでながら、節のある子守唄のような歌を唄う。
その手に頰ずりをしながら、私はつい、まぶたを閉じてしまうのだった。
次回更新は4月27日(日)、22時の予定です。
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