【前回の記事を読む】まだ幼い妹を憎み、重ね合わせた…見殺しにした女の子と。丸裸に剥かれ、ぷらぷら揺れる小さな足に、黄色の靴下。
第一章 靴
【 二 】
「妹へ。私があなたたちと一緒に暮らせないのは、あなたたちのせいです」
思わず書き出した一文へ横線を引き、急いで消した。便せんがぐしゃぐしゃにされる音が部屋の中に虚しく響く。
何とか生活を切り盛りしようとするが、私たちの暮らしは貧窮をきわめた。それが自己の存在意義を証明するとでもいうように繰り返される父の借金。精神科の病院に支払う診察代。これらの出費に、決して安くはない専門学校の学費が合算されて、生活は破綻してしまった。
鼠がそこら中に出る汚らしいアパートで、食事すらまともに取れない。精神科にかかることができたところまではよかったが、こんな状態で通院費が捻出できるわけがない。
この状況を父が改善しようとしなかったことも、私を苦しめた。
子どもたちの中でも、私が病人だということで、その私に苦しい思いをさせる程度で済んでいるのなら現状を変える必要はない。父がそんな風に考えているのではないかとさえ感じられてつらかったのである。
妹だったら違う。弟だったら、きっとかまってもらえていたろう。
小麦粉を水で練って焼いただけの物に塩をつけて食べながら、私の中には両親への恨みがどんどん膨らんでいく。
恨みの亢進 (こうしん)に拍車を掛けたのは、母が岡山にある実家へ弟や妹と帰ってしまったことである。
「お母さんの所に僕も行きたい」
「何言ってるんだ。お前が行けるわけがないだろう」
「行けるとも!」
荷物をまとめ、岡山行きの方法を必死に調べた。
しかしその度に、私の行き先は病院へと変わることになる。
「妹へ。私があなたと一緒に暮らすことができないのは、私が病気だからです」新しく便せんに書いた一文を、私は見つめた。
精神科病棟への入院については父をはじめとする周囲の意見ばかり取り容れられ、私の意思は何一つ聞かれなかった。私の言動が、周りの人びとを傷つけると思われたのであろう。
実際、誰かに何かお願いをしても、却下されてしまうことがほとんどだった。それこそもう、まともなコミュニケーションの仕方を忘れてしまいそうになるほどに。
入院と退院は何度も繰り返されて、二十歳の誕生日を私は迎えた。
あっという間の、二十歳である。