彼は、私と同じように統合失調症に苦しみ、生きていた。幻覚だけでなく、誰かに自分の考えが読み取られているような、そんな感覚にとらわれる症状を持っていた。合理的にはそうでないと言われたところで、彼にとっては紛れもない現実だということがしばしばあった。

「ブロッコリー入れるぜ、油を足してくれないか」

「ああ」

私は永ちゃんの声に、フライパンへと油を注ぐ。手入れしやすい反面、焦げ付きが生じやすいステンレス製のフライパンの場合、油は後から足すほうが良い。そう教えてくれたのも永ちゃんだ。

十四歳で統合失調症を発症してこのかた、私は、親から料理を教わったり、学校で習う家庭科の授業を実地に移してみたりする機会を得られずにいた。それから何年も経って出会ったのが菅野さんであり、永ちゃんであり、そして主治医の山本昌知(やまもとまさとも)先生であり、今、時と場を共にしている人たちだ。

彼らに助けられ、私はやっと一人暮らしに必要なスキルを覚えることができた。今から振り返ってみれば笑い話なのだが、初めのころは洗濯機の使い方も分からず、そのため、洗濯機はこの家に引っ越す前から新品同然の状態で置かれているだけの物だった。

説明書を読み始めるやいなや、「あれ、これはどうだったっけ?」と、疑問解決のための調べ物ばかりが進むというありさまである。さらには、誤操作を恐れるあまり、菅野さんが笑いながら教えてくれる時まで、衣類の洗濯はすべて手洗いでこなしていたくらいだ。

彼が教えてくれた洗濯機の使い方は、私の自宅の洗濯機のすぐそばに、メモとして今も残っている。

そんなわけで、一人暮らしも難しかった私が、移住制度を利用して一軒家に暮らせているのも、本当に、助けてくれた人たちのおかげであった。

「そう言えば、山本先生から、手紙は来たかい?」

「ああ、うん。手紙と言えばこの前、彼から寒中見舞が来たよ」

「そうだったね。あれを見て、俺は何となく菅野を思い出してさ」山本先生は、何人もの患者と手紙のやり取りをしている。携帯電話番号を患者に知らせていて、電話すればいつでも話を聞いてくれる。

本当に苦しいときに救いの手を差し伸べてくれる。そんな医者なのだ。そんな山本先生は、年始の挨拶や寒中見舞をも送ってくる人だった。

私は、棚に置かれた小さな箱を見遣った。その中には葉書や便せんが詰め込まれている。

次回更新は4月16日(水)、22時の予定です。

 

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