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真言と出世について
寺院において御祈祷や法要で真言をお唱えするということは身を投げ打って一心にお唱えして御神仏さまにおまかせし、仏心を起こしご縁の中で仏さまと一体となって頑張ってまいりますというお誓いでもあり、私たちの心が生み出す怖れや貪りの本当の原因は何であるかを促し私たちの心の迷いを覚ますものでございます。
回数は三十五遍でなくても一遍、三遍でも奇数をお唱えするのが良いと思います。御祈祷の時だけでなく普段から真言を心に置くことで正しいお諭しとお導きがいただけることと思います。
常日頃から「真言」を実践し勤めさせていただく住職として生き方と仏さまの生き方を表していく「出世」の生き方が繋がったことがございました。
当山、大満寺に地元の同級生のご家族が御祈祷にお越しになられた時のことです。お会いするのは中学校卒業以来だったので、私も別人のようになっていたのでしょう。
いつものように真言をお唱えして御祈祷が終わってから、同級生のお母さまから「出世なされましたね」と、同級生からは「水を得た魚のようにいきいきとしていたよ」とお言葉をかけていただきました。
ありがとうございますと言ってその場は失礼したのですが、出世という言葉をいただいたことについて少し引っかかったのです。有縁無縁のご縁でたまたま住職を勤めさせていただいているだけで私の中で出世したという意識はありませんでした。
その時は同級生のお母さまは私のことを少しおだててくださったのかなと思いました。しかし水を得た魚のようにいきいきと生きているように見えていたのならそういう場所で生かされている自分は有難い生き方をさせていただいていると思ったものでした。
私たちの中で一般的に出世と申しますと立身出世のイメージがございます。豊臣秀吉公、渋沢栄一翁など農民から身を起こして国を動かすような方、あるいは企業の中で出世していくことのような認識であるかと思います。実は出世とは仏教語から来ております。
・仏さまが生きとし生ける者のためにこの世に現れること
・出世間の略で俗世間を離れて仏道に入ること
・禅寺の住職になること
(岩波仏教辞典)
同級生のお母さまは現在進行形で住職を勤めている私に対して、そのままのことをおっしゃっていたのです。私の勉強不足だっただけで別に私のことをおだてたわけでもなかったのです。その時に自分は心の中で気付かぬうちに驕りがあったのではと思ったものでした。
出世とは仏の生き方を表していくこと、いただいたこの命のご縁の中で仏心を養い寛容な心でいきいきと生きることです。私にとっては住職としての最低限の勤めであります。
だからこそ私のように仏縁の中で住職を勤めさせていただいている者はお寺で精進することがそのまま出世の生き方であると思うのです。