酒について私は尋ねた。そのときの先生の回答は、
「尿酸値が高いのは、尿酸を作る能力が高すぎるか、作る能力は標準だがそれを排出する能力が不足しているか、いずれにせよ体質的なものが9割で、酒や食べ物の要因は1割に過ぎない。従って、クスリを飲んでいれば直るというものではない。酒を呑まなければ発作が出ないというものでもない。クスリは一生飲まなければならない」
これで、酒もビールもモツ焼きも知らない兄貴が痛風になった訳が分かった。
10年目、50歳のときに、2度目の発作が来た。
そのときの先生には、「アルコールは控えた方が良い」と言われた。
「10年に一度の発作を避けるために酒を控えることは、私はしません。10年に一度の痛みなら、それは覚悟の上で酒を呑みます」
「それは人生観ですからねえ」と先生は笑った。酒の量は更に増えたが、それから20年余、なぜか3度目は来ない。
父と兄は剣道の甲手を作る職人だった。おそらく日本一だったと思う。作る数は少なかったが、値段は飛び抜けていた。すべて注文生産であった。
戦後、GHQによって日本の古武道は禁止された。
禁止された競技に道具の需要はない。糧道が断たれたのである。私はまだ幼稚園かその前の幼児だったが、肉体労働に従事して帰る兄を記憶している。父が何をしていたか記憶にない。何か手間賃仕事をしていたのだと思う。
私は戦争も軍隊も知らない。戦後の食糧難も(腹は常に減っていたが)実際の苦労は知らない。兄の世代はそのすべてを、正面から受けとめてきた人生だった。それでいて限りなく優しい人であった。さようなら、兄さん。
導師は常光寺の住職だった。
母はこの方のお爺さんご住職に導かれ、父はお父さんご住職に、そして兄は三代目に導かれるのである。ご住職の体形はお父さんより、驚くほどお爺さんに似ている。不思議なものだと思った。
次回更新は4月18日(金)、20時の予定です。
【イチオシ記事】朝起きると、背中の激痛と大量の汗。循環器科、消化器内科で検査を受けても病名が確定しない... 一体この病気とは...