【前回の記事を読む】道路工事で伐採寸前の〝命の恩人〟「菩提樹」。〝神木〟だったことを知ってもらうため、夜中に密かに誰にも見られずにしめ縄を…
神様の樹陰
恩人の樹(き)
しめ縄を巻いた菩提樹は、前より心なしか、すっくと立っているようにおもえた。
沙那美はあの阪神・淡路大震災のとき、瓦礫の堆積と、異臭を放つ埃が舞う街の中に、何事もなかったように立つ大樹をあちこちで見かけ励まされた。沙那美の家は、屋根瓦が落ちたけれど、倒壊や火災からは免れた。
家の前の菩提樹はもちろん、いつもと変わりなかった。
瓦が落ちた屋根にブルーシートを張ることを業者に頼んだが、なかなか被せてもらえなかった。雨の日、家の中はバケツや洗面器、それでも足りなくて皿やどんぶりまで動員して雨滴の先に置いた。あの雨滴が奏でる楽曲が耳の奥に今でも残っている。
六甲山は、震災前になかったいくつかのガレ場が見えるが、瓦礫や焼け跡の彼方に前と同じように存在していた。沙那美には街の瓦礫の中に立つ孤高の大樹と同じように頼もしくおもえた。
叔父雅史はしめ縄作業が終わると、帰って行った。深夜の坂を下っていく軽トラックのテールランプの赤が潤んで見えた。沙那美は深々と頭を下げて見送る。
翌日は土曜日。快晴だったが、昼間から寒さで足先がじんと冷えた。
その寒さを吹き飛ばすように毎日登山の人たちが、菩提樹の傍を通って、六甲山のハイキングコースへ向かって行く。毎日登山を始めたのは、神戸外国人居留地の外国人だが、今や神戸を中心に六甲山麓に住む人たちの生活の一部であり文化となっている。