夜明け前から毎日登る。健康を兼ねて何回続けたかを山小屋に置いてあるノートに記帳するのだ。競うわけではないが、登山回数は密かな各自の勲章だった。

「懐かしいなあ。この菩提樹が〝神木〟だったのは覚えているよ。ここはもともとこの町のお宮の御旅所(おたびしょ)だったんや」

白髪と白い顎髭の古稀をとうに過ぎたとおもわれる老翁が、顔に微笑を浮かべて言った。

「御旅所って?」と老翁の孫らしい少女。花柄のリュックがかわいい。

「ああ、お祭りのとき、神輿(みこし)が休憩するところや」

「このしめ縄新しいね。昔の写真と、〝神木〟の解説があるよ。えっ、道路工事で伐採されそうって書いてあるわ」と少女は老翁の顔を見て言った。

「〝神木〟の伐採はあかんなあ」

老翁は大きな声を上げた。その声の高さに玄関を掃除していた沙那美も驚いた。

毎日登山会の人たちも何人かが足を止めた。

「この菩提樹を守るため、自然を愛する登山会としても市に陳情しなければな」

誰かが言っている。あちこちで、そうや、そうやという声。盛り上がっている。

沙那美は掃除をしながら強く力づけられていた。

休みが明けた月曜日。市章の入った白いヘルメットを被った担当者らしい若者が約束の時間前から来ていた。現場を確認しているようだった。請負業者とぼそぼそ話す小さな声が聞こえる。