そのとき、窓の下からささやき声が聞こえた。見ると、菩提樹の下にカップルが佇んでいる。

かつて沙那美は高校時代からの元彼任海祐司(とうみゆうじ)とデートの別れ際にこの大樹の下で長い時間、別れを惜しんで話し込んでいたことがあった。沙那美はカップルの影に自分たちの姿を重ねた。

祐司は今、大学院修士課程で造園学を専攻している。

二年前に彼が他の女の人と歩いているのを目撃して激情に駆られて沙那美のほうから言い出して別れた。けれど、それは沙那美の一時的な感情の昂ぶりからだった。沙那美は十分、自分の身勝手さを理解している。

(かわいくないわ。わたしは瞬間湯沸かし器みたいね)と内心は大いに悔いていた。

祐司からは誕生日とか、ふたりで行ったところがテレビでニュースになったりすると、ラインで連絡があった。

沙那美は嫌いになって別れたわけではなかったから、高校から二十四歳になるまで、ともに好きだったという事実を心のなかで大切にしている。彼女のせいでぎくしゃくしてしまった絆を修復することのむずかしさもわかっているつもりだった。

だから、会ったことはないが、人は女々しいと言うかもしれないけれど、互いに友だちのような連絡は今も取り合っている。彼は沙那美と同い年。誕生日も近いから、二十七歳になっている。

沙那美は菩提樹の下のカップルの影と自分たちを重ね合わせたときから、祐司の言葉をおもい出していた。

何の話から祐司がそんなことを話したのか、すっかり忘れてしまったけれど……。この菩提樹の下だったことは、確かだ。眼下に街の夜景が見えたことが記憶に残っている。