【前回の記事を読む】夫は生前、桜の樹の下で眠りたいと言っていた。先祖墓地にある山桜の挿し穂を大紅しだれ桜の側で育てる「桜墓」も良いのではと思う
神様の樹陰
恩人の樹(き)
沙那美(さなみ)がそのことを知ったのは、工事業者が各戸に工事のお知らせのチラシを配付したときだった。
自宅前の幅員八メートルほどの町の外縁部の市道で、住宅地側に歩道を新設するというのだ。工事着工の理由は最近、交通量が増えたため、歩行者の安全安心を図るとうたっている。
沙那美は大学を卒業して中高一貫校の中学の数学教師になって三年になる。両親も公立中学校の先生だった。父の専門は国語で、校長になっていたが、在職中に心筋梗塞であっけなく逝った。その二年後、母もあとを追うように脳溢血で突然亡くなった。
沙那美は幼いころ、よく熱を出した。両親は共働きだったから、母方の祖母通子(みちこ)は泊まりがけで看病してくれた。沙那美は小学生になってからも、「おばあちゃん、おばあちゃん」と何かにつけて頼りにしていた。
その通子が独りぼっちになった沙那美と一緒に住んでくれることになった。それでなんとか沙那美は悲しみと孤独を紛らわすことができた。
両親の残してくれた蓄えと祖母の援助でやっと大学の数学科を卒業することができたのだった。教員試験は、水泳の実技がうまくいかず一年浪人した。
数学教師だった母は三十五歳のとき、後妻として子どもがいない谷木(やぎ)家に嫁いですぐ、沙那美を身ごもった。
沙那美は父のほっそりした白い顔と母のすらっとした体型を引き継ぎ周りから羨ましがられたが、成長するにつれて父の毛深さが脛などに顕れて密かに悩んでいた。