ローストビーフや、肉寿司など五品が贅沢に盛られた前菜が提供された。このためコース料理に期待が持て「綺麗。こんな前菜初めて」。私は心の中でワクワクしていたが、それを表に出すと子供みたいで恥ずかしいから、すました顔を浮かべ余裕があるように見せた。照史はすごく洗練されて芸術作品のようだと感動している。

それはそうと私の顔を真っ直ぐ見つめ直し、僕は信じると話した。人は霊魂として存在している、たとえ肉体が無くなっても。魂は永遠に自分達と共にそこにあると話した。私は映像が脳裏に見えて、そこに映し出された未来を、知る時もあると伝えた。しかしこんな話ファンタジーだと卑屈に言った。

照史の表情は本気で、形ないもの、抽象的な事が本質で魂も同じだよ。きっとそれが一番大切と話した。

私は驚いた。そんな馬鹿な、と異議を唱えない。これまで彼のように受け入れてくれる人と、出会った事がなかった。私はみるみるうちに照史の話に引き込まれた。

彼のいう本質とは何か、人の思いや愛する気持ちなど、抽象的な目に見えない物。

確かに愛や情報、魂は観えないし触れない。太古から人と神や魂は近い存在だった。

近代文化が進歩してからは、抽象的な事柄を日常の本質として意識しないことが当たり前になってしまった。

僕は霊魂や神様を本気で信じていると言い、神様は割と身近で、祖母と教会へ行っていたと話してくれた。

次は季節のサラダと牛タンが運ばれ、彼が慣れた手つきで網の上に乗せると、途端にいい香りが漂う。

祖母は敬虔なクリスチャンで、いつもお祈りをしていたし神様の話をしてくれたと懐かしそうに話した。祖母はキリスト教徒だったが、日本には神様や仏様など大いなる存在が沢山いる。それぞれが受け入れ認め合う。なんであっても、観えないからそれはまやかしだろうと、決めてしまうのには反対だと言った。

スピリチュアルな考えを物怖じせず言えることを尊敬し、それは自分のあるべき理想の姿だった。私は特別に一つを信仰したりしないが、神を信じる事はネガティブじゃないと持論を言うと照史が「神頼みなんて無意味な行いと思う?」首を傾けながら穏やかに聞いた。

 

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