一年経て皇子お生まれになられたり長じては崇徳天皇なり
*崇徳天皇、第七十五代天皇(一一二三~一一四一)。
このときにあらぬ噂が流れたり白河院の落とし子ならむと
天皇の生母にあればありがたき待賢門院と名をあらたむる
*天治元(一一二四)年、璋子二十四歳。待賢門院の院号を賜わる。
平安末期、国を二分する戦いが起こった。それは保元の乱と呼ばれる戦乱であり、古代から中世へと、貴族政治から武家政治へと時代を切り拓いていく端緒となった。
この乱の原因である天皇家と藤原摂関家の内紛から崇徳院の配流という結末までの経緯が詠まれた創作短歌を連載でお届けします。
一年経て皇子お生まれになられたり長じては崇徳天皇なり
*崇徳天皇、第七十五代天皇(一一二三~一一四一)。
このときにあらぬ噂が流れたり白河院の落とし子ならむと
天皇の生母にあればありがたき待賢門院と名をあらたむる
*天治元(一一二四)年、璋子二十四歳。待賢門院の院号を賜わる。